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増鏡
十老の浪
九月〈◯弘安二年〉の供花には、新院〈◯後深草〉さへわたり物し給へば、いよ〳〵女房の袖くち心ことによういくはへ給、御花はつれば、両院(○○)〈◯後深草、亀山〉、ひとつ御車にて(○○○○○○○)、伏見殿へ御幸なる、秋山のけしき、御らんぜさせんとなりけり、上達部殿上人かなたこなたおしあはせて、色々の狩衣すがた、菊もみぢこきまぜてうちむれたる、見どころおほかるべし、野山のけしき色附わたるに、伏見山田面につヾくうぢの川浪、はる〴〵と見わたされたるほどいとえむなるお、わかき人々などは身にしむばかり思へり、こたかつかさ殿の大殿もまいり給べしと聞えけるお、御物いみとてとまり給へれば、五葉の枝に付て奏せられける、
 伏見山いく万代も枝そへてさかえん松のすえぞ久しき
御かへし
 さかゆべき程ぞ久しき伏見山おひそふ松のえだおつらねて、又の日は、ふし見の津にいでさせ給て、鵜舟御らむじ、白拍子御船にめし入て、歌うたはせなどせさせ給ふ、二三日おはしませば、両院の家司ども、我おとらじといかめしき事どもてうじてまいらせあへる中に、楊梅の二位兼行、ひわりこともの心ばせありて、つかうまつれるに、雲雀といふ小鳥お萩の枝に付たり、源氏の松かぜのまきお思へるにやありけん、為兼朝臣おめして、本院かれはいかヾ見るとおほせられければ、いと心え侍らずとぞ申ける、まこと定家の中納言入道がかきて侍る源氏のほんには、萩とは見え侍らぬとぞうけ給りし、かやうに御中いとよくて、はかなき御あそびわざなども、いどましきさまに聞えかはし給お、めやすき事になべて世の人も申けり、