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承久軍物語

おなじき七月六日、むさしの太郎ときうぢ、むさしのぜんじよしうぢ、す万ぎのせいおひきぐし、院の御所四辻殿へまいり、四はうおけいご仕り、とば殿へうつしたてまつるべきよしそうもん申ければ、一院かねておぼしめしまうけさせ給たる御事なれども、さしあたつては御心まどはせおはしまして、まづ〳〵女ばうたちお出さるべしとて、出車にとりのせてやり出されければ、ぶしどももしむほんのものやのりたるらんとて、ゆみのはずにて御くるまのすだれおかヽげてみたてまつるこそなさけなくみえしか、やがて一院もみゆきなる、〈◯中略〉東の洞院おくだりに御幸なれば、あさゆふみゆきなりたりし七条殿ののきばも、いまはよそに御覧ぜらる、つくりみちまではぶし共物の具にてぐぶつかまつり、鳥羽殿へいらせ給へば、四方おかこみてきびしくしゆごしたてまつる、〈◯中略〉同八日、一院御しゆつけあそばすべきよし六はらより申入ければ、すなはちおむろの道助法親王おめされて、御かいのしとして、御かざりおおろさせおはします、〈◯中略〉おなじき十三日、法皇隠岐の国へせんかうあるべきよしきこしめせば、〈◯中略〉すでに御出ときこゆれば、ぐぶのてん上人には、くらのごんのかみきよのり、さえもんのすけよしもち入道、ではのぜんじしげふさ、くすしはせやくいむなかなり入道、女ばうにはいがの局まいりけり、〈◯中略〉七月廿七日には、いづものくに大はまのみなとみほがさきと申所につかせ給へば、御とものぶしどもは、みな〳〵御いとま給はり、都へかへりのぼりけるほどに、法皇御なみだのひまより、しゆめいもん院へ御しよお送り奉らせ給ふが、
 しるらめやうきめおみほのはまちどりなく〳〵しぼる袖のけしきお、これより御ふねにめし、雲の波けふりのなみおこぎすぎて、八月五日と申には、隠岐のくにあまのこほりかり田のがうと申所につかせたまへば、りやうしゆあやしき御所おつくりまうけてうつしたてまつる、〈◯中略〉七月廿二日、しんいん〈◯順徳〉さどへせんかうあるべきよしきこえたり、ぐぶの人々には、れんぜいの中将ためいへ朝臣、花山院少将よしうぢ、かひの兵衛のすけのりつね、上ほくめんには、とうのさえもん大夫やすみつ、女房には、うえもんのすけ以下三人まいり給ふ、かくはきこえしかども、為家朝臣は、一まどの御送りおも申されず、都にとヾまり給、花山院少将は、いさヽかいたはることありとて、道よりかへりのぼられければ、いとヾ御心ぼそくぞおぼしめしける、えちごのくにてらどまりにつかせ給て、御ふねにめさんとしける時、うひやうえのすけのりつね、やまひ大じにおはしけるが、御ふねにもまいらず、やがてかしこにてうせ給ひけり、しんいんはかれこれにおくれ給て、御心ぼそさかぎりなかりければ、御送りのぶしども、けふばかりあすばかりととどめさせ給ふが、さどのくにヽも付給、〈◯中略〉同十月十日、とさのくにヽせんかう〈◯土御門〉あるべきにさだめられけり、たかづかさまでのこうぢどのヽ御所より御出あり、げしやくのつちみかどの大納言さだみち卿まいりて、なく〳〵御車およす、御供には少将さだひら、侍従さだもと、女房三人えじ一人まいりけり、〈◯中略〉かくてとさのくにヽつかせたまひて、しばらくすまはせ給ふ所に、御すまひちひさく侍るよし申ば、それよりあはのくにヽうつらせたまふ、