[p.0764]
増鏡
二新島守
中院〈◯土御門〉は、〈◯中略〉十月十日、〈◯承久三年〉土佐国のはたといふ所に渡らせ給ひぬ、〈◯中略〉道すがら雪かきくらし、風吹あれ、ふヾきして、こし方行さきも見えず、いとたへ難きに、御袖もいたく氷りて、わりなき事多かるに、
 うき世にはかヽれとてこそ生れけめことわりしらぬわがなみだかな、せめて近きほどにとあづまより奏したりければ、後には阿波国に移らせ給ひにき、〈◯中略〉此おはします〈◯後鳥羽〉所は、人放れ里遠き嶋の中なり、〈◯中略〉はる〴〵と海の眺望、二千里の外も残りなきこヽちする、今更めきたり、潮風いとこちたく吹来るおきこしめして、
 我こそはにひ島守よおきの海のあらき浪風心してふけ
 同じ世に又すみの江の月や見んけふこそよそにおきの島守