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椿葉記
同〈◯観応〉三年閏二月廿日、南朝の天気によりて、両上皇、〈◯光厳、光明、〉新院、〈◯崇光〉儲皇直仁親王八幡の軍陣に幸しまします、南方の官軍利なくして、八幡より没落、河内国東条の城に還幸あり、同五月に、また大和国加名生の離宮に渡御なる、