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太平記
二十三
土岐頼遠参合御幸致狼藉附雲客下車事
九月三日〈◯興国四年、北朝康永二年、〉は、故伏見院の御忌日なりしかば、彼御仏事、殊更故院の御旧跡にて執行はせ給はん為に、持明院上皇〈◯光厳〉伏見殿へ御幸なる、〈◯中略〉彼方人の夕と、動き静まる程にも成しかば、松明お秉て還御なる、夜はさしも深ざるに、御車東洞院お登りに、五条の辺お過させ給ふ、懸る処に土岐弾正少弼頼遠、二階堂下野判官行春、今比叡の馬場にて、笠懸射て、芝居の大酒に時刻お移し、是も夜深て帰けるが、はしたなく樋口東洞院の辻にて、御幸にぞ参合ける、召次御前に走散て、何者ぞ狼藉なり、下候へとぞ哼ける、下野判官行春は是お聞て、御幸なりけりと心得て、馬より飛下傍に畏る、土岐弾正少弼頼遠は、御幸も知ざりけるにや、此比時お得て、世おも恐れず、心の儘に振舞ければ、馬おかけ居て、此比洛中にて、頼遠などお下すべき者は覚ぬ者お、雲は如何なる馬鹿者ぞ、一々に奴原、蟇目負せてくれよと哼りければ、前駆御随身馳散て、声々に如何なる田舎人なれば、加様に狼藉おば振舞ぞ、院の御幸にて有ぞと呼りければ、頼遠酔狂の気や萌しけん、是お聞てから〳〵と打笑ひ、何院と雲か、犬と雲か、犬ならば射て落さんと雲儘に、御車お真中に取籠て、馬お懸寄追物射にこそ射たりけれ、竹林院中納言公重卿、御後に打れけるが、衛府の大刀お抜馳寄、懸る浅ましき狼藉こそなけれ、御車おとく懸破て仕れと下知せられけれども、牛の引お切られて、軛も折、牛童共も散々に成行、供奉の卿相雲客も、皆打落されて、御車に中る矢おだに防ぎ進らする人もなし、下簾皆かなぐり落され、三十輻も少々折にければ、御車は路頭に顚倒す、浅ましと雲も疎なり、上皇は、〈◯中略〉袞衣の御袖お御顔に押当させおはしませば、公重卿も涙の中にかき昏て、牛童少々尋出して、泣々遷御成にけり、其比は直義朝臣、尊氏卿の政務に代て、天下の権柄お執給ひしかば、此事お伝へ承て、異朝にもいまだ此類お聞ず、増て本朝に於ては、曾て耳目にも触れぬ不思議なり、其罪お論ずるに、三族に行ても尚足らず、五刑に下ても何ぞ当らん、直に彼輩お召出して、車裂にやする、醢にやすべきと、大に驚嘆申されけり、〈◯下略、又見続神皇正統記、〉