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皇太后、皇后、中宮、皇太子等の他に行き給ふお行啓と曰ふ、凡そ皇后中宮の行啓には、期に先だちて、所司供奉官人の名お録奏し、外記命お其官人に伝ふ、之お召仰と雲ふ、其儀衛、糸毛の御車にて、女官騎馬にて之に従ひ、大夫亮は前に、近衛次将二人は左右に、進等は後に列す、還御の時、諸司名謁し、或は饗禄お賜ふ、元永二年二月、及三月の方違行啓に、唐車お用い、治承四年四月、院に行啓の時も、亦唐車お用いられしは異例なり、長承年間に、宇治行啓の時、女騎お停めて、布衣の者お以て之に替へ、後世遂に女騎おば廃せらる、行啓の類別は、父帝お訪ひ、子女お訪ひ、親族お訪ひ、遊覧方違等にして、上皇御幸と、大同小異なり、神仏行啓お省くことは、前に同じ、太皇太后、皇太后、皇太夫人、皇太子の行啓は、史伝に見ゆること希なれば、援に其一二お併入す、