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続世継
四宇治の河瀬
白川院かくれさせ給てこそ、ほいのごとく、殿〈◯藤原忠実〉のひめ君〈◯泰子〉たてまつり給て、女御の宣旨かふり給、皇后宮〈◯鳥羽天皇譲位後の皇后なり〉にたち給てのちは、院号聞えさせ給て高陽院と申き〈◯中略〉きさきの宮のはじめつかたも、宇治の御幸ありて、皇后宮ひきつヾきていらせ給し、うるはしき行啓のやうには侍らで、みなかり衣にふりうなどして、女房の車いろ〳〵にもみぢのにほひいだして、ざうしなどもみなくるまにのりてなん侍し、さき〴〵白川院の御時は、ざうしはみな馬にのりて、すきがさ、たヾのかさなどきて、いくらともなくこそつヾきて侍しか、これは車にて、これぞはじめにて侍し、きさきの宮にはかふりにてこそ、つねは人々候お、これはほういになされてなん侍し、
 ◯按ずるに、一代要記、女院小伝等に拠るに、高陽院は、長承三年三月、皇后に冊立せられたれば、此行啓は、其年のことならん、