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神皇正統記
白河
天下お治めたまふ事十四年、太子〈◯堀河〉に譲りて尊号あり、世の政お始めて院中にてしらせ給ふ、後に出家せさせ給ひても、猶其まヽにて御一期はすごさせまし〳〵き、おりいにて世おしらせ給ふ事、昔はなかりしなり、孝謙脱屣の後にぞ、廃帝〈◯淳仁〉は位に居給ばかりと見えたれど、古代の事なれば、たしかならず、嵯峨、清和、宇多の天皇も、たヾ譲りてのかせ給ふ、円融の御時は、やう〳〵しらせ給ふ事もありしにや、院の御前にて、摂政兼家の大臣承て、源時中の朝臣お参議になされたりとて、小野宮の実資の大臣などは、傾け申されけるとぞ、されば上皇ましませど、主上おさなくおはします時は、ひとへに執柄の政なりき、宇治の大臣〈◯藤原頼通〉の世となりて、三代の君の執政にて、五十余年権お専らにせらる、先代には、関白の後は如在の礼にて有しに、あまりなる程に成にければにや、後三条院坊の御時より、あしざまに思しめすよし聞えて、御中らひあしくて、あやぶみおぼしめすほどの事になむ有ける、践祚の時、即関白おやめて宇治にこもられぬ、弟の二条の教通の大臣関白せられしが、殊の外に其権もなくおはしき、まして此御代には、院にて政おきかせ給へば、執柄はたヾ職にそなはりたるばかりになりぬ、されどこれより又ふるきすがたは一変するにや侍りけん、執柄世おおこなはれしかど、宣旨官符にてこそ天下の事は施行せられしに、此御時より院宣(○○)、庁の御下文(○○○○○)おおもくせられしによりて、在位の君又位にそなはり給へるばかりなり、世のすえになれるすがたなるべきにや、又城南の鳥羽と雲所に離宮お立、土木の大なるいとなみ有き、むかしはおりいの君は、朱雀院にまします、是お後院と雲、又冷然院にも〈然の字火事のはヾかりありて、泉の字にあらたむ、〉おはしけるに、かの所々にはすませ給はず、白河より後には鳥羽殿おもちて、上皇御座の本所とは定められにけり、御子堀河の御門、御孫鳥羽の御門、御曾孫崇徳の御在位まで、五十余年〈在位にて十四年、院中にて四十三年、〉世おしらせ給ひしかば、院中の礼(○○○○)など雲事も是よりぞ定まりにける、