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源平盛衰記

一院御出家事
高倉院践祚の後は、無諍方一院〈◯後白河〉万機之政お聞召しかば、院中に近く召仕る、公卿殿上人以下、北面の輩に至まで、程々に随ふて、官位俸禄、身に余る程蒙朝恩たれ共、人の心の習なれば、猶あき足ず覚て、平家の一類のみ、国も官おも多く塞ぎたる事お目醒しく思て、此人の亡たらば、其れはあきなん、彼者が死たらば、此官はあきなめと心の中に思けり、〈◯中略〉一院も被思召けるは、〈◯中略〉清盛かく心の儘に振舞こそ然るべからね、是も末代に及て王法の尽ぬるにや、迚も由なしと思召立せ給て、一筋に後世の御勤思召立と聞えし程に、〈◯中略〉嘉応元年己丑六月十七日、上皇法住寺殿にして御出家あり、〈◯中略〉平家の振舞、中々御善知識とぞ思召す、