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椿葉記
かやうに申も片はら痛く人笑はれなるべけれど、さりとては昔の院号の例お申さば、小一条の院、それは東宮にてわたらせ給へば子細に及ばず、守貞の親王は、後堀河院践祚ありて、かの親王法体にてましませども、やがて太上天皇の尊号お奉られて、後高倉の院と申、〈◯中略〉されば上古より帝王の父として、無品親王にてはてたるためしなければ、〈◯中略〉古例に任せて、院号の御さたどもあるべき事にて侍れども、不肖の身、中々微望おいたすに及ばず、終には又追号のさたはありもやせんずらん、同じくは存命の中に、尊号の儀もあらば、いかに本意ならん、さてこそ君〈◯後花園〉の聖運開きましますしるしも、いよ〳〵気味はあらめとおぼえ侍る、何事も人の偏執によりて、当座はとかく申なし侍るとも、昔の例は世のしる所なれば、今さら申に及ばざる事なり、〈◯中略〉よろづ雲いのよそにきヽ奉るばかりにて過し侍る、よろこびの中のうれへにて侍るなり、かやうの道理おおぼしめしわくべき、君の御せいしんお待奉れば、老の命も長かれかしと、いよいよ御代安全、宝祚の長久ならん事お念じ侍るばかりなり、