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大鏡
三左大臣師尹
この宮〈◯三条皇后娀子〉の御はらの一のみこ、敦明親王とて式部卿と申し程に、長和五年正月廿九日、三条院おりさせ給へば、この式部卿東宮にたヽせ給ひにき、〈◯中略〉三条院のおはしましつる限りこそあれ、うせ給にける後は、よのつねの東宮の御やうにもなく、殿上人など参りて御遊びせさせ給や、もてなしかしづき申人などもなく、いとつれ〴〵にまぎるヽかたなく、おぼしめされけるまヽに、心やすかりし御ありさまのみ恋しく、ほけ〳〵しきまでおぼえさせ給けれど、三条院おはしましつる限りは、院殿上人などもまいりや、御つかひもしげく参りかよひなんどするに、人目もしげくよろづ慰めさせ給お、院うせおはしましては、世の中のものおそろしく、おほぢのゆきかひもいかヾとのみわづらはしくふるまひにくきにより、宮司などだにも参りつかうまつる事も難くなりゆけば、ましてげすの心はいかヾはあらん、殿もりづかさのしもべも、朝ぎよめつかうまつる事もなければ、庭の草もしげりまさりつヽ、いとかたじけなき御すみかにておはします、まれ〳〵参よる人々は、よにきこゆる事とて、三宮〈◯後朱雀〉かくておはしますお心苦しく殿〈◯藤原道長〉も大宮〈◯上東門院彰子〉も思ひ申させ給に、もしうちにおとこ宮もいでおはしましなばいかヾあらん、さあらぬさきに、東宮に立たてまつらばやとなんおほせらるなり、さればおしてとられさせ給へるなりなどのみ申お、まことにしもあらざらめど、げにことのさまもよもとおぼゆまじければにや、きかせ給御心ちは、いとヾうきたちたるやうにおぼしめされて、ひたぶるにとられんよりは、われとやのきなましとおぼしめすに、又高松殿のみくしげどの〈◯道長女寛子〉参らせ給て、殿のはなやかにもてなし奉らせ給ふべかなりとて、例の事なればよの人さま〴〵さだめ申お、皇后宮きかせ給て、いみじうよろこばせ給お、東宮はいとよかるべき事なれどさだにあらば、いとヾ我思ふ事えせじ、猶かくてえあるまじくおぼしめされて、御母宮にしかじかなん思ふと聞えさせ給へば、さらなりや、いと〳〵あるまじき御事也、みくしげどのヽ御ことおこそ、まことならばすヽみきこえさせ給はめ、さらに〳〵おぼしめしよるまじきことなりと聞えさせ給て、御ものヽけのするなりと御いのりどもせさせ給へど、さらにおぼしめしとヾまらぬ御心のうちお、いかでか世人もきヽけん、さてなんみくしげ殿参らせ奉らせ給へともきこえさせ給べかなるなどいう事、殿の方にもきこゆれば、まことにさもおぼしゆるぎての給はせば、いかヾすべからんなどおぼす、さて東宮はつひにおぼしめしたちぬ、さてのちにみくしげ殿の御事もいはんに、中々それはなどかなからんなど、よきかた様におぼしめしけん、ふかくの事なりやな、〈◯中略〉皇后宮にもかくとも申させ給はず、たヾ御心のまヽに、殿に御せうそく聞えんとおぼしめすに、むつましうさるべき人もものし給はねば、中宮の権大夫殿〈◯藤原能信〉のおはします、四条の坊門と西の洞院とは宮近きぞかし、それ計おこと人よりはとやおぼしめしよりけん、蔵人なにがしお御つかひにて、あからさまに参らせ給へとあるお、おぼしもかけぬ事なれば驚かせ給て、なにしにめすぞと問はせ給へば、申させ給べき事のさぶらふにこそと申お、このきこゆる事どもにやとおぼせど、のかせ給ことはさりともよにあらじ、みくしげ殿の御事ならんとおぼす、いかにもわが御こヽろひとつには思ふべき事ならねば驚きながら、参り候べきおおとヾにあない申てなんさぶらふべきと申させ給て、まづ殿にまいり給へり、東宮よりしか〴〵なんおほせられたりつると申させ給へば、殿もおどろかせ給て、何事ならんとおほせられながら、大夫殿の御同じやうにぞおぼしよられける、まことにみくしげ殿の御事の給はせんお、いなび申さんもびんなし、参り給なば又さやうにあやしくてはあらせ奉るべきならず、又さては世の人の申すなるやうに、春宮のかせ給はんの御思ひあるべきならずかしとはおぼせど、しかわざとめさんには、いかでか参らではあらん、いかにもの給はせん事お聞くべきなりと申させ給へば、参らせ給ほど日もくれぬ、陣に左大臣殿〈◯敦明舅藤原顕光〉の御車や、ごぜんどものあるお、なまむづかしとおぼせど帰らせ給べきならねば、殿上にのぼらせ給て、参りたるよしけいせさせよと蔵人にのたまはすれば、おほい殿の御まへにさぶらはせ給へば、たヾ今はえなん申候はぬときこえさする程みまはさせ給に、にはの草もいとふかく、殿上のあり様も東宮のおはしますとはみえず、あさましうかたじけなげなり、おほい殿いで給てかくとけいすれば、朝がれひの方にいでさせ給て、めしあれば参り給へり、いと近くこちとおほせられて、ものせらるヽ事もなきにあないするも憚り多かれど、おとヾ〈◯道長〉に聞ゆべき事のあるお、伝へものすべき人のなきに、まぢかきほどなればたよりにもと思ひて、せうそこし聞えつるなり、そのむねは、かくて侍るこそは本意ある事と思ひ、故院〈◯三条〉のしおかせ給へる事お、たがへ奉らんもかた〴〵に憚り思はぬにあらねど、かくてあるなん思ひつヾくるに罪深くもおぼゆる、うちの御行末はいと遥にものせさせ給、いつともなくてはかなき世に命もしり難し、この有さまのきて、心にまかせて行ひおもし、物まうでおもし、やすらかにてなんあらまほしきお、むげにさきの東宮にてあらむは見苦しかるべきなん、いんがう給りて、としに受領などありてなむあらまほしきお、いかなるべき事にかと伝へられよとおほせられければ、かしこまりてまかでさせ給ぬ、その夜はふけにければ、つとめてぞ殿に参らせ給へるに、うちへ参らせ給はんとて、御さうぞくのほどなれば、え申させ給はず、〈◯中略〉源民部卿〈◯俊賢〉よりおはして、などかくてはおはしますと聞えさせ給へば、この殿には隠し聞えさせ給べきことにもあらねば、しか〴〵の事のあるお、人々のさふらふめればえ申さぬなりとの給はするに、御けしき打かはりてこの殿も驚き給、いみじうかしこき事にこそあなれ、たヾとく聞せ奉らせ給へ、うちに参らせ給なば、いとヾ人がちにてえ申させ給はじとあれば、げにとおぼしておはします方に参り給へれば、さならんと御心えさせ給て、すみの間に出させ給て、東宮に参りたりつるかと問はせ給へば、よべの御せうそく委しく申させ給に、さうなりや、おろかにおぼしめさんやは、おしておろし奉らん事は憚りおぼしめしつるに、かヽる事のいできぬる御よろこび猶つきせず、まづいみじかりける大宮の御すくせかなとおぼしめす、民部卿殿に申あはせ給へは、たヾとく〳〵せさせ給べきなり、何かよき日もとらせ給、すこしものびばおぼし返して、さらでありなんとあらんおば、いかヾはせさせ給はんと申させ給へば、さる事とおぼして御覧ずるに、けふもあしき日にもあらざりけり、やがて関白殿〈◯此時関白なし、摂政藤原頼通お雲ふならん、〉も参らせ給へるほどに、とく〳〵とそヽのかし申させ給、まづいかにも大宮に申てこそはとて、うちにおはしますほどなれば参らせ給て、かくなんときかせ奉らせ給へば、まして女の御心はいかヾはおぼしめさん、それよりぞ春宮に参らせ給、かう申事は寛仁元年八月六日の事也、又例も御ともに参り給御こどもの殿ばら、また例も御ともに参り給上達部殿上人、ひきぐせさせ給へれば、いとこちたくひヾきことにておはしますお、待つけさせ給へる宮の御心ちは、さりともすこしすヾろはしうおぼしめされけんかし、〈◯中略〉殿にはとしごろおぼしめしつる事など、こまかに聞えんと心づよくおぼしめしつれど、まことになりぬるおりはいかになりぬる事ぞと、さすがに御心さわがせ給ぬ、むかひきこえさせ給ては、方々におくせられ給にけりとや、たヾ昨日の同じさまに中々事ずくなにおほせらるヽ、御かへりは、さりともいかにかくはおぼしめしよりぬるぞなどやうに申させ給けむかしな、御けしきの心ぐるしさおかつは見奉らせ給て、すこしおしのごはせ給て、さらば今日よき日なりとて、院になし奉らせ給て、やがて事ども始めさせ給て、よろづの事さだめ行はせ給、判官代には、宮づかさども蔵人などかはるべきにあらず、別当には中宮の権大夫おなし奉り給へれば、おりて拝し申させ給、事ども定まりはてぬれば出させ給ぬ、〈◯原〉〈本有誤脱、拠一本改、〉