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太平記
三十
持明院殿吉野還幸事
北畠右衛門督顕能、兵五百余騎お率して、持明院殿へ参り、〈◯中略〉四条大納言隆蔭卿お以て、世の静り候はん程は、皇居お南山に移し進らすべしとの勅定〈◯後村上〉にて候と被奏、〈◯中略〉良暫有て新院〈◯光明〉御涙おおさへて仰られけるは、天下乱に向ふ後、僅に帝位お践といへども、叡慮より起りたる事に非れば、一事も世の政お御心に任せず、北辰光消て、中夏道闇き時なれば、共に椿嶺の陰にも寄、遠く花山の跡おも追ばやとこそ思召つれども、其も協はぬ折節のうさ、凱叡察なからんや、今天運図に膺、万人望お達する時至れり、乾臨枉て恩免お蒙らば、速に釈門の徒と成て、辺鄙に幽居お占んと思ふ、此一事具に奏達有べしと仰出されけれども、顕能再往の勅答に及ばず、