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増鏡
十二浦千鳥
徳治二年にもなりぬ、遊義門院〈◯後宇多后姈子内親王〉そこはかとなく御なやみと聞えしかば、院〈◯後宇多〉のおぼしさわぐ事限りなく、よろづに御祈念はらへとのヽしりしかど、なき御事にていと浅ましくあへなし、院も夫故御ぐしおろして、ひたぶるにひじりにぞならせ給ひぬる、其程さまざまのあはれおもひやるべし、