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続日本紀
十九孝謙
天平勝寳八歳五月壬申、勅曰、太上天皇〈◯聖武〉出家帰仏、更不奉諡、所司知之、
◯按ずるに、水鏡には、聖武天皇の出家お譲位の後の事と為し、一代要記には、譲位の日に在りと為す、然れども霊異記には、天皇の事お挙げて、天皇剃除鬢髪と雲ひ、次に勅お挙げて、朕亦法師と雲ひ、東大寺所蔵なる銅版詔書には、菩薩戒弟子皇帝沙弥勝満などあるに拠りて考ふるに、在位の時に既に出家したまひしが如し、続日本紀天平勝寳元年閏五月癸丑の願文に、太上天皇沙弥勝満とあるも、亦在位の時の事なり、而して太上天皇とあるは、当時譲位の議の既に定まれるに由りて、預め称したまひしものにて、藤原仲麻呂が、既に太保に任ぜられて、其日建言して太保お置き、類聚三代格天平勝寳元年六月廿六日の官符の、改元前数日に在りて、天平勝寳とあるが如くならん、彼此対照して以て当時の状お知るべし、故に今聖武天皇の出家お以て、天皇出家の首に居けり、