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栄花物語
二花山
一条殿の女御〈◯花山女御怟子〉は、〈◯中略〉はらませ給て、八月といふにうせ給ぬ、〈◯中略〉うち〈◯花山〉にもたれこめてぞおはしまして、御声もおしませ給はず、いとさまあしき迄なかせ給、御めのと達せいし聞えさすれどきこしめしいれず、あはれにいみじ、〈◯中略〉寛和二年にもなりぬ、〈◯中略〉いかなるころにかあらん、よのなかの人いみじく道心おこして、あまほうしになりはてぬとのみきこゆ、これおみかどきこしめして、はかなきよお覚しなげかせ給ひて、あはれ弘徽殿〈◯怟子〉いかにつみふかヽらん、かヽる人はいとつみおもくこそあなれ、いかでかのつみおほろぼさばやとおぼしみだるヽ事ども御心の中にあるべし、この御心のあやしうたうときおりおほく、心のどかならぬ御けしきお、おほきおとヾ〈◯藤原伊尹〉覚しなげき、御おぢ中納言〈◯伊尹子義懐〉も人しれずたヾむねつぶれてのみおぼさるべし、説経おつねに花山の厳久阿闍梨おめしつヽせさせ給、御心のうちの道心かぎりなくおはします、妻子珍寳及王位といふ事お御くちのはにかけさせ給へるも、惟成の弁いみじうらうたき物につかはせ給ふも、中納言もろ共にこの御道心こそうしろめたけれ、出家入道も皆れいの事なれど、これはいかにぞやある御心ざまのおり〳〵出くるはことごとならじ、たヾ冷泉院の御ものヽけのせさせ給なるべしなど歎き申わたる程に、猶あやしう例ならずものヽすヾろはしげにのみおはしますは、中納言なども御とのいがちにつかうまつり給ほどに、寛和二年六月廿二日の夜、にはかにうせさせ給ひぬとのヽしる、〈◯中略〉なつの夜もはかなくあけて、中納言や惟成の弁など花山にたづねまいりにけり、そこにめもつヽらかなる小法師にてついいさせ給へるものか、あなかなしやいみじやとそこにふしまろびて、中納言も法師になり給ぬ、これしげの弁もなり給ぬ、あさましうゆヽしうあはれにかなしとはこれよりほかの事あべきにあらず、かの御ことぐさの妻子珍寳及王位も、かくおぼしとりたるなりけりとみえさせ給、