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大鏡
五太政大臣伊尹
花山院の御出家の本意あり、いみじう行はせたまふ、修行せさせたまはぬ所なし、されば熊野の道に千里の浜といふ所にて、御こヽちそこなはせたまへれば、浜づらに石のあるお御枕にて大とのごもりたるに、いと近くあまの塩やく烟のたちのぼる心ぼそさ、げにいかにあはれにおぼされけんな、
 旅の空よはのけぶりとのぼりなばあまのともし火たくかとやみん、かヽる程に御験もいみじうつかせ給ひて、中堂にのぼらせ給へる夜、験くらべしけるおこヽろみんとおぼしめして、御心の内に念じおはしましければ、護法つきたる法師、おはします御屏風のつらにひきつけられて、ふつとうごきもせず、あまりひさしくなれば、いまはゆるさせ給ふおり処つげつるおそうどものがりおどりいぬるお、はやう院の御護法のひきとるにこそありけれと、人々あはれに見奉る、それさる事に侍り、験もしなによる事なれば、いみじきおこなひ人也ともいかでかなずらひ申さん、前生の戒力に又国王位おすて給へる、出家御功徳かぎりなき御事にこそおはしますらめ、ゆくすえまでもさばかりにならせ給ひなん御心には、解怠せさせ給ふべき事かはな、