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保元物語

法皇崩御事明る四月廿七日改元有て、保元とぞ申ける、此頃より法皇〈◯鳥羽〉御不予の事あり、偏に去年の秋、近衛院先だヽせ給ひし、御歎の積にやと世人申けれども、業病受させ給ひけるなり、日に随て重らせ給へば、月お追て憑少く見えさせおはしませば、同六月十三日、美福門院、鳥羽の成菩提院の御所にて御かざりおろさせ給、現世後生お憑進らせ給ふ、近衛院も先立給ぬ、又皆老同穴の御契浅からざりし法皇も御悩重らせ給ふ、御歎の余に思召立とぞ聞えし、御戒の師には、三滝上人観空ぞ被参ける、哀成し事共也、