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愚管抄
一平城
おりいのみかどにて、〈◯中略〉ならにおはします、依て奈良のみかどヽ申なり、
◯按ずるに、平城の号は、日本後紀に、大同四年四月、天皇遂伝位、避病於数処、五遷之後、宮于平城と見え、類聚国史に、天長元年七月甲寅、平城天皇崩、丙辰、奉誄曰、畏哉譲国、而平城宮〈爾〉御坐〈志〉天皇とあり、以て徴と為すべし、