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高倉院昇遐記
治承五の年、〈◯中略〉殿上にて先、後の御名の定めあるにつけても、高倉(○○)いかなる大路にて、憂名の御形見に残り、〈◯下略〉
◯按ずるに、山槐記に天皇巽位の後、治承四年三月四日、土御門亭に遷幸の事ありて、注に土御門北、東洞院東、前大納言邦綱朝臣家、先に時々為皇居之所也とあり、又拾芥抄諸名所部に、高倉殿〈土御門南、高倉西、〉とあり、其京程図お按ずるに、〈此図に拠れば、山槐記に土御門北とある北は、南の誤なるが如し、〉即ち前文土御門亭と全く同所にして、此号の御在所号たる事お証するに足る、