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中御門院御昇壇記
宝永七年正月十日、新院御院号、奉称東山院、
◯按ずるに、此号の事、伊藤長胤の盍簪録に、奉葬于東山泉涌寺、奉号曰東山院と見え、雍州府志に、泉涌寺号東山とあれど、筆者不詳の諡陵記と雲ふ書に、兼而此東山之不審、折々人に尋といへども、誰も不心付といへり、余り近き世の事故探り見べき日記も手廻らず、泉涌寺は、東山に有が故ならんなどヽ答ふる人もあれど、歴代追々御陵ましまし、今更おくれて此時東山お用ひられん事当らず、何も合点不行事也、或時書房本城小兵衛来雲、泉涌寺方丈の額は、張即之の筆にして東山とありといへり、然れども是もさてさて不審難晴といへども、向後校正の一助にひかへおく也とあれば信と為し難し、又鳩巣随筆には、院といふはもと宮中屋宇の名なり、〈◯中略〉東山に御座あるお以て東山院と称するの類なりとあれど、是又明徴なければ拠り難し、