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源平盛衰記

讃岐院事
長寛二年八月廿四日、御年四十六にて、支度と雲所にて遂に隠れさせ給にけり、〈◯崇徳〉讃岐御下向の後九年にぞ成給ける、白峯と雲山寺に送奉り焼上奉けるが、〈◯中略〉御骨おば必高野へ送れとの御遺言ありけるとかや、