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太平記
二十一
先帝崩御事
南朝の年号、延元三年八月九日より、吉野の主上〈◯後醍醐〉御不予の御事有けるが、次第に重らせ給、〈◯中略〉八月十六日丑刻に、遂に崩御なりにけり、〈◯中略〉葬礼の御事、兼て遺勅有しかば、御終焉の御形お改めず、棺槨お厚し、御座お、正して、吉野山の麓、蔵王堂の艮なる林の奥に、円丘お高く築て、北向に奉葬