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後光厳院崩御記
応安七年正月廿九日、寅刻御年卅七にて終に崩御なり、後光厳院とぞ尊号は申せる、〈◯中略〉二月二日、東山泉涌寺へ御葬礼、〈◯中略〉同三日、御骨お当寺の僧の沙汰にて拾たてまつる、藤中納言頸にかけて、深草の法華堂におさめて、泣々京へぞ帰給ける、