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後小松院崩御記
神無月廿日〈◯永享五年〉といふに、〈◯中略〉夕つかたつひの御事侍り、あへなさ申ばかりなし、〈◯中略〉かくておなじき廿七日のまだよひのほどに、霜がれの芝の砌お出し奉りて、東山のほとり、泉涌寺といふ所へ御幸なし奉る、御車はあじろのいとなれたるに、前右大臣〈◯藤原公冬〉以下の上達部うへ人かちにて供奉したてまつる、〈◯中略〉程なくかの所に送り奉りて、御はてのわざとりおこなはれ侍りて、つひに烟となし奉る、