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山の霞
文明二の年十二月廿六日、夜半ばかりより、法皇〈◯後花園〉御中風の御所労いできまし〳〵て、終に辰の刻ばかりに崩御ならせ給ふ、〈◯中略〉 三日〈◯文明三年正月〉申の刻に、悲田院にて御葬送の儀あり、〈◯中略〉ほどなく烟となり給へるお見参らせけるに(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○)、白楽天が、石火光中寄此身とつくれりしも眼前におぼえて、
 立のぼる後のけぶりとなるまでに雲いに高き名おのこすかな