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高国記
柳本高屋合戦之事
其時分河内国の守護は畠山稙長なり、父尚慶十八歳にて入道し卜山と雲、高屋の城おとり立てて子息にゆづり、紀州広と雲所え隠居しける、此高屋の城、昔安閑天皇の御廟なり、然れば要害よければとて城に築立られけれども、本城には恐れて畠山殿も二の丸に住しける、柳本此時勢お分て、二千余人高屋城え馳向ひ、其まヽ押寄責ければ、稙長難儀し、已に被責落と見ゆる事度々也、〈◯中略〉此城に一の不思議あり、安閑天皇の御廟お城に用られし故にや、大和路の水越と雲道より、城え入る者生て帰る事なしとて、水越路おむかしより、明道にて、手向のさたもなかりける、