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撰集抄

新院御墓白峯事
過にし仁安の比、西国はる〴〵修行つかうまつり侍りし次に、讃州みお坂の林と雲所にしばらく住侍き、深山べの楢の葉にていほりむすびて、つま木こりたく山中のけしき、花の木末によわる風、誰とへとてかよぶこ鳥、蓬の本の鶉、日終に哀ならずといふ事なし、長夜の暁、さびたる猿の声お聞に、そヾろに腸お断侍り、かヽる栖家は後の世の為としも侍らね共心そヾろに澄ておぼゆるにこそ、かくても侍べかりしに、浮世の中には思おとヾめじとおもひ侍しかば、立離なんとし侍しほどに、新院〈◯崇徳〉の御墓所おおがみ奉らんとて、白嶺と雲所に尋参侍りしに、松の一むらしげれるほとりにくぎぬきしまはしたり、是ならん御墓にやと、今更かきくらされて物も覚えず、まのあたりみ奉りし事ぞかし、清凉紫宸の間にやすみし給て、百官にいつかれさせ、後宮後房のうてなには、三千の翡翠のかんざしあざやかにて、御まなじりにかヽらんとのみしあはせ給ひしぞかし、万機の政おたなごヽろににぎらせ給のみにあらず、春は花の宴お専にし、秋は月の前の興尽せず侍き、あに思きや今かヽるべしとは、かけてもはかりきや他国辺土の山中のおどろの下にくち給べしとは、貝鐘の声もせず、法花三昧つとむる僧一人もなき所に、隻嶺の松風の烈きのみにて、鳥だにもかけらぬありさま、見奉るにすヾろに涙おおとし侍き、始ある物は終ありとは聞侍しか共、いまだかヽる例おば承侍らず、されば思おとむまじきは此世也、一天の君、万乗の主も、しかの如くの苦みお離れまし〳〵侍らねば、せつりもしゆだもかはらず、宮もわらやも共に果しなき物なれば、高位もねがはしきに非、我等も幾度か彼の国主ともなり給ひけんなれ共、隔生即忘して、すべて覚侍らず、隻行て留り果べき、仏果円満の位のみぞゆかしく侍る、とにもかくにも思ひつヾくるまヽに、涙のもれ出侍しかば、
 よしや君昔の玉のゆかとてもかヽらん後は何にかはせん、と打詠られて侍き、盛衰は今に始ぬわざなれ共、殊更心のおどろかれぬるに侍り、