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薮原北卵隠岐国紀行
隠岐国嶋前海士村、葛田山源福寺、真宗二百石、後鳥羽天皇御堂の高一丈九尺に、四方は二間に二間半、丸木桂、白木造、かつお木柿ぶき、高欄きだ橋ありて、外は丸木の矢来なり、御屋根は皆朽果て、雨露尊容おけがし奉れり、軒には蓬しのぶ心のまヽに生茂りて、尊体は大きなる瓶棺に納奉りて、上にはつやあるさヾれ石おかき上て、下民の眸にかヽらせ玉ふにぞ、おほやけにものし奉るも勿体なく、すヾろに涙こぼるヽばかり也、御廟は万治元年、松平出羽守、此嶋お預り玉へる時新に建立也、それまでは御廟も石ばかりなりしとぞ、此嶋寛永十四年より、松平出羽守あづかり玉ふ、元禄元年より御代官、又享保四年より、出羽守あづかり玉ふ、亦今は修覆ものなくてあれはてたり、