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古事記伝
二十
大后は字のまヽに、意富岐佐岐と訓べし、後世の皇后なり、古は天皇の大御妻等お后と申て、其中の最上なる一柱お、殊に尊みて大后とは申ししこと、上巻八千矛神段〈伝十一の三十葉〉に雲るが如し、〈大は、大臣大連などの大と同じくて、あるが中に、一人お尊みて雲称なり、〉されど猶疑あらむ人の為に、其証どもお挙て、なほつばらに雲む、先古に后とは一柱に限らず、後に妃夫人などヽ申す班までお幾柱にても申せり、〈今世女童の詞に、十二人の御后といふなるは、愚なるに似たれども、かへりて古に近し、〉倭建命〈の〉段に、弟橘比売命お、其后とありて又次に坐倭后等雲々とあるは、橘比売おも坐倭おも、共に后と申せるなり、〈倭建命は、万お天皇に准へて申せる例なり、〉又等と雲るお以ても、一柱に限らざることお知べし、されば書紀反正巻に、皇夫人(きさき)、また夫人(きさき)、敏達巻にも夫人(きさき)、これらお伎佐伎と訓るは古にかなへる訓なり字鏡にも、〓〈は〉妃也、支佐支とあり、〈又書紀に、夫人おば、意富刀自と訓る処もあるは心得ず、又妃夫人嬪女御などお多くは美売(みめ)と訓り、そも〳〵御売(みめ)とは、皇后お始奉て、夫人嬪などの列までも通ひて申すべければ、此訓は悪からず、但神武巻に、尊正妃為皇后とある、正妃お牟加比売(むかひめ)、皇后お伎佐伎(きさき)と訓る、こは文字に就ては、然も訓べけれども、当時の実の称には協ふべくも非ず、牟加比売とは、皇后お申すべく、又伎佐伎とは、妃などにもわたる称なればなり、さればこは正妃お伎佐伎、皇后お意富伎佐伎と訓て宜し、凡ていづこにても、妃夫人などは伎佐伎、皇后は意富伎佐伎と訓べきなり、〉さて其后等の中の第一なるお、大后と申せし証は此処お始として、玉垣宮〈◯垂仁〉段に、其大后比婆須比売命と見え、歌志比宮〈◯仲哀〉段に息長足比売命お大后と申し、高津宮〈◯仁徳〉段に、大后石之日売命と見え、又遠飛鳥宮〈◯允恭〉段、朝倉宮〈◯雄略〉段などにも、同く大后と申せり、又書紀天智巻に、天皇御病甚重くならせ給へる時に、天武天皇の儲君に坐けるが、後事お辞申給へる御言に、請奉洪業付属大后雲々、とある大后も、皇后倭姫王お申たまへるなり〈凡て書紀の例は、上代の事お記されたるも、後世の如く漢国の定めに随ひて、当代の大后おば皇后と書き、御母后おこそ、皇太后とは書れたるに、此は其例に違ひて、たま〳〵当時の実の称のまヽに、当代のお大后とは書れたるなり、此余にもかくとりはづしては、凡ての漢様の例に違ひて、古の称のまヽに書れたる事もまヽ見えたり、御子おば皇子皇女と書るが、凡ての例なるに、おり〳〵は、王とも書れたる例なり、〉又万葉二に、近江大津宮御宇天皇〈◯天智〉聖躬不予之時大后奉御歌、また天皇大殯之時、大后御歌、また明日香清御原宮御宇天皇〈◯天武〉崩之時、大后御作歌など見え、又伊予国風土記に、天皇等於湯幸行降坐五度也、以大帯日子天皇、〈◯景行〉与大后八坂入姫命二躯為一度也、以帯中日子天皇〈◯仲哀〉与大后息長足姫命二躯為一度也雲々とある是らなり、さて上件の如く、古に大后と申せしは、当御代の第一なる御妻なり、然るお万の御制、漢国のにならひ賜ふ御代となりては、正しき文書などには、当代のおば皇后、先代のお皇太后と書るヽことヽなれり、されど口に言〈ふ〉語、又打とけたる文などには、奈良のころまでも、猶古のまヽに当代のお大后、先御代のおば大御祖(おほみおや)と申せるお、〈されば書紀などに、皇太后、皇太妃、皇太夫人などヽあるおば、皆意富美意夜(おほみおや)と訓べし、古の称は然なり、まことに大御母に坐お、伎佐伎、美売などヽは申まじき理なり、然るお書紀清寧巻に、皇太夫人お意富伊伎佐伎(おほいきさき)と訓るは、古に協はず、皇極巻に、天皇の御母吉備姫王お、吉備嶋皇祖母命とある、此より古の称なる、又続紀九に、藤原夫人お、宜文則皇太夫人、語則大御祖、との詔のあるお思ふべし、皇后にまれ、夫人にまれ、大の字お加へて御母の事とするは漢国の定めにこそあれ、皇国の古にはさることなし、故文には漢様お用ひながら、語にはなほ古のまヽに申されしなり、いまだ漢籍お取用ひられざりし前の御世には太妃太夫人など雲品の差別はあらざりしかば、大后にまれ、凡の后たちにまれ、御母となり坐ては、凡て大御祖とぞ申しし、孝徳紀に、皇極天皇お皇祖母(おほみおやの)尊と、御号奉らるヽこと見えたる、こは天皇に坐すら猶如是申せるお以て、后も夫人も大御祖と申すに差別はなかりしことさとるべし、さて皇極は孝徳の大御姉にませども、大御母に准へて、此御号奉り給へりしなり、さて又こは御母と申すことなるに祖母と書れたるはいかにと疑ふ人あり、凡て古は母お多く美意夜(みおや)と申して、古書どもに御祖と書れば、其例のまヽに祖字お書き、又皇祖尊と書ては、先代天皇にまぎるヽ故に、御母なる事お知らしめむ為に、母の字おも添られたるものなり、◯中略〉其後遂に常の語にも、当代の嫡后おば、たヾ后と申し、大御母お大后と申すことにはなれるぞかし、〈凡て何事もかく漢様にのみ変りはてヽは、古様およく弁知る人もなく、たま〳〵古書に遺在お見ては、返りて疑おさへなすめり、師の万葉考にすら、彼二巻なる大后お疑ひて、天皇いまだ崩坐ざるほどなれば、大后とあるは誤なりとて、皇后と書攺められ、又別記に、夫人の訓お論はれたるなど中々にみな誤りなり、〉