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増鏡
三藤衣
寛喜元年になりぬ、此ほどは光明峰寺殿、〈道家〉又関白にておはす、この御むすめ、〈◯後堀河后竴子〉女御にまいり給ふ、世の中めでたくはなやかなり、〈◯中略〉やがて后立あり、〈◯寛喜二年二月十六日〉藤つぼわたりいまめかしく住なし給へり、〈◯中略〉おなじ三年七月、関白おば御太郎教実のおとヾにゆづり聞え給て、わが御身は大殿とて、后宮の御おやなれば、思なしもやむごとなきに、御子どもさへいみじうさかへ給さま、ためしなきほどなり、