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続世継
三男山
院〈◯鳥羽〉には、いづかたにもうときやうにてのみおはしましヽに、しのびてまいり給へる御方〈◯得子〉おはしまして、やヽあさまつりごとも、おこたらせ給ふさまにて、夜がれさせ給ふ事なかるべし、いとやむごとなきヽはにはあらねども、中納言〈◯藤原長実〉にて、御おやはおはしけるに、母きたのかたは、源氏のほり川のおとヾのむすめにおはしけるうへに、たぐひなくかしづき聞えて、たヾ人にはえゆるさじともてあつかはれける程に、〈◯中略〉しのびて御せうそこ有て、かくれつヽ参り給ひけるほどに、日にそへてたぐひなき御心ざしにて時めきたまふ程に、たヾならぬ事さへおはしければ、御いのりおどろ〳〵しきまでかた〴〵せさせ給ふほどに、女宮〈◯叡子〉うみ奉らせ給へれば、めづらしきおばよろこびながら、男におはしまさぬおぞくちおしうおぼしめしけるに、又うみ奉り給へるも〈◯章子〉おなじさまなれば、まめやかにくちおしうおぼしめしたれど、さすがいかヾはせんにておはしますなるべし、〈◯中略〉しばしはあの御方など申ておはしましヽ程に、三位のくらいそべさせ給て、この御事おのみたぐひなき御もてなしなれば、世の人ならびなく見奉るに、又たヾならぬことおはしませば、〈◯中略〉いひしらぬ御いのりども有けるほどに、保延五年にや侍りけん、つちのとのひつじのとし五月十八日、よになくけうらなる玉のおのこ宮〈◯近衛〉うまれさせ給ぬれば、院のうちさらなり、世中もうごくまでよろこびあへるさまいはん方なし、〈◯中略〉かくて同七年十二月七日、御とし三にて位ゆづり申させ給ふ、ちかくは五などにてぞつかせ給へども、心もとなさにやすかやかにいさせ給ぬ、御母女御殿、皇后宮にたヽせ給、御とし廿五にや、