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栄花物語
十日蔭の蔓
寛弘八年六月十三日御譲位、〈◯一条〉十月十六日御即位〈◯三条〉なり、〈◯中略〉かヽる程に十月廿四日、冷泉院うせさせ給ぬ、〈◯中略〉世の中みな諒闇になりぬ、〈◯中略〉はかなくて月日もすぎて、年号かはりて長和元年といふ、元三日のありさま、たヾならましかばいかにめでたからまし、たれこめて殿上にも出させ給はずなどして、〈◯中略〉内にはかんの殿〈◯妍子〉の后にいさせ給べき御事お、殿〈◯藤原道長〉にたび〳〵聞えさせ給へれど、年ごろにもならせ給ぬ、宮だちあまたおはします、宣耀殿〈◯娀子〉こそまづさやうにはおはしまさめ、内侍のかみの御事は、おのづから心のどかになどそうせさせ給へば、いとけうなき御心也、此世おふさはしからず思ひ給へるなりなどえじの給はすれば、さはよき日してこそ宣旨もくださせ給べかなれと奏して、出させ給てにはかに此御事どもの御用意あり、何事もそれにさはり、日などのべさせ給べき御世の有さまならねば、二月十四日〈◯長和元年〉にきさきにいさせ給とて、中宮〈◯妍子〉と聞えさす、〈◯中略〉かヽる程に大殿の御心、何事もあさましきまで人の心の中おくませ給により、しば〳〵参らせ給てこヽらの宮達のおはしますに、宣耀殿のかくておはしますいとふびんなる事に侍り、はやう此御事おこそせさせ給はめと、そうせさせ給へば、〈◯中略〉四月廿八日、〈◯長和元年〉后にい給ひぬ、皇后宮〈◯娀子〉と聞えさす、〈◯中略〉内にも御ぶくたちぬる月〈◯十一月〉にぬかせ給て、冷泉院の御はてもせさせ給て、今は此事〈◯御禊大嘗会〉おいみじき事にのヽしらせ給、