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増鏡
七北野の雪
この入道殿〈◯藤原実氏〉の御おとヽに、そのころ右大臣〈実雄〉ときこゆるぞ、姫君あまたもち給へる中に、すぐれたるお〈◯佶子〉らうたきものにおぼしかしづく、今上〈◯亀山〉の女御代にいで給ふべきお、やがてそのついで、文応元年入内あるべくおぼしおきてたり、院にも御気色たまはり給ふ、入道殿の御孫の姫君〈◯嬉子〉も、まいり給ふべき聞えはあれど、さしもやはと出したち給ふ、いとたけき御心なるべし、〈◯中略〉十月廿二日〈◯一代要記作十二月廿六日〉まいり給ふ、ぎしきこれもいとめでたし、〈◯中略〉よろづの事よりも、女御〈◯佶子〉の御さまかたちのめでたくおはしませば、上〈◯亀山〉もおぼしつきにたり、〈◯中略〉ほどもなく、〈◯弘長元年二月八日〉后立ちありしかば、おとヾ心ゆきておぼさるヽ事かぎりなし、西園寺の女御〈◯嬉子〉もさしつヾきてまいり給ふお、いかさまならんと御胸つぶれておぼせど、さしもあらず、これは九にぞなり給ひける、冷泉のおとヾ〈公相〉の御女なり、大宮院〈◯後嵯峨后吉子〉の御子にし給ふとぞ聞えし、いづれもはなれぬ御中に、いどみきしろひたまふほどきヽにくき事もあるべし、〈◯中略〉これも后にたちたまへば、もとの中宮はあがりて、皇后宮とぞ聞え給ふ、いま后はあそびにのみ心いれ給ひて、しめやかにも見えたてまつらせ給はねど、御おぼえおとりざまにきこゆるお、おもはずなる事に、世の人もいひさたしける、