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後宮譜証註
畏庵随筆に雲、板本日本紀、即庶母也の四字の小注あり、古巻に無し、孝元天皇の妃、伊香色謎命と同名にして、同人にあらず、年齢考ふべしとあり、書紀集解に、四字の小注は為後人加筆刪去とあり、〈◯久邇宮御蔵本には、此四字の小注なし、後人の加筆なること明なり、〉又河内志茨田郡に伊香、渋川郡に伊賀々、二所の村名あり、是等お以て考れば、孝元天皇即位の元年、仮に十七八歳にて妃となれると見ても、開化天皇の六年に至りては、八十余歳なれば、如此事のあるべくも非ず、これ同人に非ること著明なり、然るお同名なるが故に、同人と思ひ誤りて、後人の書入しが、既に日本紀には本註となり、古事記に本文となれるなり、
◯按ずるに、孝元天皇の妃は、古事記に内色許男命之女とあり、開化天皇の后は、崇神紀に大綜麻杵之女也とありて其父お異にせり、天孫本紀に拠るに、欝色雄命と大綜麻杵命とは兄弟にして、共に大水口宿禰命の子なり、然れば孝元天皇の妃は兄の女、開化天皇の后は弟の女にして別人なるお、御名の同じき故に混ぜしものか、附記して後考お俟つ、