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日本書紀
十四雄略
元年三月壬子、立草香幡梭姫皇女為皇后、〈更名橘姫〉
◯按ずるに、内藤広前の説に、履中の后なる幡梭皇女は、古事記応神の段に、日向の泉長比売の生める、幡日若郎女とある皇女にて、雄略の后なる幡梭皇女は、古事記仁徳の段なる、日向諸県君牛諸の女髪長比売の生める、波多毘能若郎女とある皇女なり、されば履中の后と雄略の后とは、同名異人なりと雲へり、然れども履中天皇の后なる幡梭皇女お応神天皇の皇女とする時は、仮に応伸天皇崩年の誕生とするも、履中天皇元年には九十余歳なれば、年代合はず、又大日本史には同人としたれども、仮に幡梭皇女の履中天皇の元年に十三四歳にして后に立ち、皇女お生み給ふとするも、雄略天皇の元年には、七十余歳となれり、是又年代合はず、故にこの皇后は同名異人なるか、はた同人なるか詳ならず、姑く附記して後考お俟つ、