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五代帝王物語
中宮〈◯後堀河后藤原竴子〉は、御懐妊ありて、寛喜三年二月十二日、四条院御降誕、あなめでたとて、やがて十月廿八日に、太子に立せ給ふ、〈◯中略〉貞永元年十月四日、主上〈◯後堀河〉御位お避て東宮〈◯四条〉に譲奉る、御年二歳、いつしかなるうへ、先例もよろしからずおぼえ侍き、中宮は同二年〈天福元〉四月三日院号ありて、藻壁門院と申、此院号又いかヾとおぼえしに、同年九月に御産とてひしめくほどに、御ものヽけこはくてうみかねさせ給ふ、内外の御いのり数おつくし、大法秘法のこる事なしといへども、つひにかなはせ給はず、余りに大事にして、大臣いかヾせんずると、女院申させ給へば、大殿は御涙にむせびて東西も覚え給はず、御寳物皆やきあげられけれどもかひなし、九月十八日つひにうせ給ぬ、御年廿五、あさましとも雲ばかりなし、