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増鏡
十老の波
大かた此大宮院〈◯後嵯峨后〉の御宿世、いとありがたくおはします、すべていにしへより今まで、后国母おほくすぎ給ぬれど、かくばかりとりあつめいみじきためしは、いまだきヽおよび侍らず、御位のはじめよりえらばれ参り給ひて、あらそひきしらふ人もなく、三千の寵愛ひとりにおさめ給、両院〈◯後深草、亀山、〉うちつヾきいでものし給へりし、いづれも平らかに思ひの如く三代の国母にて、いまはすでに御むまご〈◯後宇多〉の位おさへ見たまふまで、いさヽかも御心にあはず、おぼしむすぼるヽ一ふしもなく、めでたくおはしますさま、きし方もたぐひなく、行すえにもまれにやあらん、いにしへの基経のおとヾの御女、〈◯醍醐后穏子〉延喜の御代の太后宮、二代〈◯朱雀、村上、〉の国母にておはせしも、はじめいでき給て、ことにかなしうし給ひし前坊〈◯保明〉におくれ聞え給て、御命のうちにたへぬ御なげきつきせざりき、九条のおとヾ〈師輔〉の御むすめ、〈◯藤原安子〉天暦〈◯村上〉のきさきにておはせし、冷泉円融両代の御母なりしかど、めでたき御代おも見奉り給はず、御門にもさきだち給てうせ給にき、御堂〈◯藤原道長〉の御女上東門院、後一条後朱雀の御母にて、御孫後冷泉後三条まで見奉り給ひしかども、みなさきだヽせ給しかば、さかさまの御なげきたゆる世なく、御命あまりながくて、中々人目おはづる思ひふかくおはしましき、これもみな一の人にて、世のおやとなり給へりしだに、やうおかへてさま〴〵の御身のうれへはありき、たヾ人には大納言公実の御女こそ待賢門院とて、崇徳院後白河院の御母にておはせしかど、それも後白河の御世おば御らんぜず、讃岐の院の御すえもおはしまさず、されば今のやうに、たヾ人の御身にて、三代国のおもしといつかれ、両院とこしなへに、おふぎさヽげたてまつらせ給へば、さきの世もいかばかりのくどくおはしまし、この世にも春日大明神おはじめ、よろづの神明仏陀の擁護あつくものし給ふにこそ、ありがたくぞおしはかられ給ふ、