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栄花物語
三十九布引滝
后たヽせ給ふべけれど隙なきことおいかヾとおぼしめされて、きさき〈◯後三条后馨子〉お院になし奉らんと思しめす、〈◯中略〉十六日〈◯承保元年六月〉に、太皇太后宮、〈◯後冷泉后章子〉女院にならせ給ぬ、としごろも一ところ院にならせ給べし、しだいにては太皇太后宮ならせ給べし、さらずば中宮こそは故院の后にもおはしまし、内〈◯白河〉の御まヽ母にもおはしませばなど申つるお太皇太后宮ならせ給ぬれば、きさきにてもおはしまさでと申人もあり、又ならせ給はではいかヾはなど申人もありけり、みかどの御おやならぬは(○○○○○○○○○○○)、まだならせ給はざりければ(○○○○○○○○○○○○)、めづらしき事に人申(○○○○○○○○○)、みかどの御おやならでは(○○○○○○○○○○○)、受領などはえさせ給はじとて(○○○○○○○○○○○○○)、給はらせ給はず(○○○○○○○)、こと〴〵くは后におはしましヽ同じ事なり、れいはみかどの御むすめきさきにたちてのちに、女帝にい給ふもなくやはありける、まして院分などかなからんと申給上達部もおはす、大女院〈◯上東門院〉は、我御院分おゆづり申さんと奏せさせ給、〈◯中略〉此院おば二条院とぞ聞えさせける、