[p.1211]
続世継
三男山
保延五年にや侍けん、つちのとのひつじのとし五月十八日、世になくけうらなる玉のおのこ宮〈◯近衛〉うまれさせ給ぬれば、院のうちさらなり、世中もうごくまでよろこびあへるさまいはんかたなし、〈◯中略〉日にそへてめづらかなるちごの御かたちなるにつけても、いかでかすかやかに、みこのみやにもくらいにもとおぼせども、きさきばらにみこだちあまたおはしますお、さしこゆべきならねば、おもほしめしわづらふほどに、当代〈◯崇徳〉の御子になし奉り給ふ事いできて、みな月の廿六日、皇子内へいらせ給ふ、御供に上達部殿上人えらびて、常のみゆきにも心ことなり、みやこのうち車もさりあへず、みるもの所もなき程になん侍りける、内へいらせ給ふにてぐるまの宣旨など、蔵人仰せつヽ、すでに参らせ給て、中宮(○○)〈◯崇徳后聖子〉お(○)御母にて(○○○○)、まだ御子もうませ給はねば、めづらしくやしなひ申させたまふ、后の御おやにては、関白殿〈◯藤原忠通〉おはしませば、皇子のおほぢにて、かた〴〵みかどもきさきも御子おはしまさまぬに、院〈◯鳥羽〉御心ゆかせ給て、いと心よき事いできて、いつしか八月十七日春宮にたヽせ給ふ、