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妃は、皇后の次位に在る御妻の称なり、古訓に、みめと雲ふ、即ち御妻の義なり、又きさきと雲ふ、其訓后に同じ、きさきとは専ら言へば皇后お指し、汎く言へば御寝に侍することなれば、妃にも此訓はあるなり、日本書紀に拠るに、神代より此名あれど、後世より追書せしものなれば、其何の時に起れるお知らず、故に元妃と曰ひ、正妃と曰ひ、次妃庶妃と曰へるも、汎く其等級お挙ぐるに過ぎず、文武天皇の大寳制令に至り、妃二員お置き、其品秩お四品以上と定めたり、品は皇族の位階なれば、皇族お以て之に充てたるなり、是に於て、妃の制度始て見はる、然れども当時妃と称するもの甚だ少し、僅に大寳元年七月の紀に、皇太妃〈恐くは元明天皇お指せるならん、〉の名あるのみ、桓武天皇の時に至り、夫人藤原旅子に妃の号お贈る、是お制令後の再見とす、此時皇族お以て充つるの制は既に壊れたり、是より後、妃の称の史上に見はるヽもの、僅に二三に過ぎず、