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水鏡
下光仁
宝亀四年正月十四日に、山部親王〈◯桓武〉の中務卿と申しておはせし、東宮にたち給ふ、〈◯中略〉大臣以下、御門〈◯光仁〉に申していはく、儲君はしばしもおはせずしてあるべき事ならず、すみやかに立て奉り賜へと申しかば、御門たれおかたつべきとの賜はせしかば、百川すヽみて、第一の御子山部親王おたて申賜ふべしと申き、〈◯中略〉浜成申ていはく、山部親王は御母いやしくおはす、いかでか位につき賜はんと申しかば、御門まことにさる事也、酒人内親王おたて申さんとのたまひき、
◯按ずるに、酒人内親王は、井上皇后の女にして、桓武天皇の庶妹なり、然るに大日本史后妃伝に日本後紀の贈吉野皇后お桓武天皇の御母高野贈皇后の事とし、桓武天皇と酒人内親王とお、同皇后の所生とせしは誤なり、其御同母にあらざることは上文にて明なり、