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夫人は、其位妃に次げるものなり、古訓に、みめ、きさき、或はおほとじと雲ふ、夫人の名は、日本書紀反正天皇の紀に初て見えたれども、是亦後世より追書せるものにて、当時此称ありしにあらず、大宝の制、始めて夫人三員お置き、三位以上とし、多く大臣の女お以て之に充つ、爾後歴朝大かた絶ゆること無かりしが、淳和天皇以来復此名称お見ざるに至る、蓋し女御更衣等の職起るにより、自然廃絶に帰したるものなるべし、
歴朝の間に於て、人臣の妻にして夫人の称お得しものは、藤原不比等の後妻橘三千代一人のみ、其薨後に太夫人と為れり、亦此外に其例お見ず、