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御湯殿の上の日記
天正十四年十二月十六日、このへどのひめぎみ、〈◯近衛前久女前子〉くわんばく殿〈◯豊臣秀吉〉ようしにし参られて、女御〈◯後陽成后〉に御参り、御たる十かう十か参る、御くしあげ御さたありて、つねの御所にて三ごん参る、しよこんはうそう、二こんかべに御ひら、三ごんふな、御はいぜんすけ殿ながはしいよ殿、女御はいぜん、女中御とおりあり、そのヽち御ゆどのヽ上御たき火にて御はんじゆくもしたぶ、日し〳〵也、めでたし〳〵、
◯按ずるに、女御入内の儀は、南北朝の頃より久しく廃絶せしが、是に至りて、豊臣秀吉之お再興せしものなり、