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栄花物語
三十八松の下枝
四月〈◯延久五年〉廿九日、御ぐしおろさせ給〈◯後三条〉とのヽしる、〈◯中略〉つひに五月七日うせさせ給ぬ、みや〳〵女いんのおぼしめしまどはせ給ふさまかぎりなし、もの覚えさせたまはぬ御心にも、その日やがて一品宮〈◯聡子内親王〉女御殿〈◯源基子〉あまにならせ給ぬ、のちにぞ戒などもうけさせ給ける、〈◯中略〉あさましくあはれなりともおろかなり、わかくめでたき御ぐしどもおそがせ給て、いかにめでたくおはしますらん、かたちかへつれば四五十の人だに、わかくこそ見ゆれ、ましていかにおはしましけん、御いみのほどに堀河女御〈◯藤原昭子〉も成給ぬ、ほり河の院におこなひてものせさせ給もあはれなり、