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栄花物語
十一莟花
一条院うせさせ給ひて後、女御更衣の御ありさまどもさま〴〵にきこゆるに、承香殿の女御〈◯藤原元子〉に、故式部卿宮の源宰相の君頼定の君忍びつヽかよひきこえ給ふ程に、右のおとヾ〈◯元子父顕光〉きヽ給て、まことそらごとあらはしきこえんとおぼしけるほどに、御めにまことなりけりと見給ひてければ、いみじうむつからせ給て、さばかりうつくしき御ぐしおてづから尼になしたてまつり給ふに、うき事数しらずみえたり、あさましうあやしきことによ人も殿のうちにもいひさわぐ程に、其のちもなほしのびつヽかよひ給ひければ、そのたびはいづちもいづちもおはしねとあれば、女御の御めのとヽあるは、実誓僧都といふ人のくるまやどりなり、その家にわたり給ぬ、宰相もさるべきにこそと思ひつヽおろかならずかよひ給ふ程に、おのづから御ぐしなどもめやすくなりもていく、あやしうひが〳〵しきことによの人も思きこえたり、おなじきわかきんだちといへ共、これは村上の四宮源帥殿の御むすめのはらなれば、いとものきよくものし給お、あやにくにこの殿、の給おぞかへす〴〵あやしき事に人きこゆめる、又くらべやの女御〈◯藤原尊子〉と聞えしには、母の藤三位いまの宣耀殿の御はらからのすりのかみ〈◯藤原通任〉おぞあはせ聞えためる、