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源平盛衰記
二十五
此君賢聖并紅葉山葵宿禰付鄭仁基女事凡此君〈◯高倉〉幼稚の御時より賢聖の名お揚、仁徳の行お施す、御情深き御事共多かりける、〈◯中略〉又建春門院御入内の比、安元の始の年、中宮の御方に候ける女房の召仕ける女童二人あり、一人おば葵、一人おば宿禰と雲ふ、葵は美形世に勝れたりけれども、心の色少し劣れり、宿禰はみめ形はちと劣りたりけれども、心の色は深かりけり、主上不慮に、始めは葵お召れけるが、後には心の色に御耽ありて、宿禰に思召つかせ給つヽ、類ひなき御事なりければ、彼女房竜顔に近付進らせて立さる事もなし、白地の御事にもあらで夜々是お被召、御志深く見えさせ給ければ、主の女房も召仕ことなく、還て主の如くにいつきがしづき給ひけり、此事天下に漏聞えければ、時の人古き謡詠に雲事有とて、文お引て雲、生女勿悲酸、生男勿喜歓、男不封侯、女作妃と、隻今此女房、女御后にも立、国母仙院とも祝れ給なん、ゆヽしかりける幸哉と披露すと聞召て、後は敢て召るヽ事なし、御志の尽させ給にあらず、世の謗お思召ける故也、されば常は御ながめがちにて、夜のおとヾにぞ入らせ給ける、