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太平記

立后事〈付〉三位殿御局事
阿野中将公廉の女に、三位殿の局と申ける女房、中宮の御方に候はれけるお、君〈◯後醍醐〉一度御覧ぜられて、他に異なる御覚あり、三千の寵愛一身に在しかば、六宮の粉黛は、顔色無が如く也、都て三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一女御、曁後宮の美人、楽府の妓女と雲へども、天子顧眄の御心お付られず、啻に殊艶猶態の独よく是お致すのみに非ず、蓋し善巧便佞、叡旨に先たちて奇お争しかば、花の下の春の遊、月の前の秋の宴、駕すれば輦お共にし、幸すれば席お専にし給ふ、是より君王朝政おし給はず、忽に准后の宣旨お下されしかば、人皆皇后元妃の思おなせり、驚き見る光彩の始て門戸に生ることお、此時天下の人、男お生む事お軽じて、女お生む事お重ざり、されば御前の評定、雑訴の御沙汰までも准后の御口入とだに雲てければ、上卿も忠なきに賞お与へ、奉行も理あるお非とせり、関唯楽而不淫、哀而不傷、詩人採て后妃の徳とす、奈何せん傾城傾国の乱、今に有ぬと覚て、浅増かりし事共也、