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皇太子は、皇位お継承し給ふべき皇子お雲ふ、日本書紀履中紀の古訓には、儲君及び太子王おひつぎのみことあり、継体紀用明紀には、春宮及び東宮おも、ひつぎのみこ、又は、ひつぎのみやと訓ぜり、其他太弟と雲ひ、或は坊などヽも雲ひて、種々の称あれども、共に皇太子の称なり、但し近世は先づ皇嗣お定めて之お儲君と称し、然る後、立太子の儀あるお例とせり、立太子の詔は、早く継体天皇の朝に見え、爾後其儀式漸く整頓せしが、南北分立、崇光天皇の朝より後西院天皇の朝に至るまで、十五代二百余年間全く中絶し、霊元天皇の天和三年に再興せられたり、立太子の時山陵に告げらるヽことは、後世廃たれて社寺の祈祷と変じたれども、壺切御剣お伝へ、及び拝覲節会等の儀式は、曾て絶えたることなし、其他公卿寺僧等の参賀は古よりの例なれども、殊に徳川氏の時は、将軍は使お遣して、参賀進献の礼お行ひ、在藩の諸侯は、書翰お以て幕府に慶お陳べたり、
皇太子は単に儲けの君たるのみならず、時には国事お監し、時には万機お摂行し給ふことあり、其命お令と雲ひ、其他に往き給ふお行啓と雲ひ、群臣の皇太子に白すお啓と雲ひ、上啓には皇太子お称して殿下と雲ひ、自称には臣妾及び名お用いしむ、大宝の制、太子には傅、学士お附して輔導の職に任ぜしめ、東宮坊には大夫以下多くの職員お定めて、東宮一切のことお処理せしむ、此等の制、後世悉くは行はれざりしかども、なほ其待遇は自余の親王皇子に超出し、而して其妃は、中世以後多くは女御、又は御息所と称せり、
上古、太子お立つること、必ずしも一人に限らざりしが、其後定めて一人となしたり、此等の太子は皆皇子お立つるお例とせしかども、種々の事情によりて、必ずしも然らざるありて、或は皇女お太子とし給ひしあり、聖武天皇の孝謙天皇に於けるが如き是なり、皇孫お太子とし給ひしあり、持統天皇の文武天皇に於ける、元明天皇の聖武天皇に於ける、醍醐天皇の慶頼王に於けるが如き是なり、皇兄お太子とし給ひしは、顕宗天皇の御兄仁賢天皇お皇太子とし給ひしのみなれども、皇弟お太子又は太弟とし給ひしは、履中、天智以下、後光明、後西院天皇等極めて多し、或は従兄弟にして、太子となり給ひしあり、一条、三条、伏見天皇等なり、再従兄弟にして太子となり給ひしあり、後二条、花園、後醍醐天皇、及び小一条院等なり、三従兄弟にして太子となり給ひしは、光明天皇の太子成良親王ありしのみ、其他成務、推古、円融、後桜町等の天皇は、皇姪お太子とし、三条天皇は従姪、後醍醐天皇は再従姪、光厳天皇は、三従兄弟の御子お太子とし給へり、殊に異例なるは、六条天皇の、其叔父高倉天皇お太子とし、孝謙天皇の、其族叔祖父道祖王、大炊王お太子とし、称徳天皇の、其再族伯祖父光仁天皇お太子とし給ひし類なり、蓋し是等の諸例は、皇子のおはせぬに因れるも多けれど、或はまた種々の事情によりて、勢止むお得ざるに出でしも鮮なからず、彼の両統更立の如きも、亦当時の情勢已むお得ずして遂に斯る変体お生ぜしものなるべし、
立太子の年齢も亦種々にして一様ならず、其極めて幼冲なりしは、聖武天皇の皇子、及び安徳、仲恭、後深草天皇等にして、何れも御誕生後数十日にして太子に立ち給ひたり、之に反して年長にして太子に立ち給ひしは、反正天皇、〈五十歳〉安閑天皇、〈四十八歳〉天武天皇、〈四十六歳〉光仁天皇、〈六十〉〈二歳〉等なりとす、又親王宣下と雲ふこと始まりて後、親王となりて即日太子となり給ひしは二条天皇是なり、其他前後両朝、又は数朝の間太子となり給ひしは、天智天皇、聖武天皇、及び草壁太子にして、先朝に儲君となり、後朝に太子となり給ひしは、後桃園天皇なり、又光仁天皇の、先帝崩後太子となり給ひし如きは、極めて異例なりとす、
皇太子お立て給ふに当り、時に争ひなきこと能はず、清和天皇立太子の時、惟喬親王の争はれしが如き、円融天皇立太子の時、為平親王の争はれしが如き是なり、之に反じて淳和天皇の皇子恒世親王の如きは、上表して太子たるお固辞せられしものなり、又太子にして儲位お辞し給ひしは、小一条院にして、太子にして帝位に即くお辞し給ひしは、菟道稚郎子、及び仁賢天皇、天武天皇等とす、又太子にして自ら敗亡し給ひしあり、木梨軽皇子是なり、其他廃太子あり、孝謙天皇の太子道祖王は、淫縦なりしかば廃せられて諸王となり、光仁天皇の太子他戸親王は、其母井上内親王の大逆に坐して庶人とせられ、桓武天皇の太子早良親王は、専資にして幽流せられ、嵯峨天皇の太子高岳親王は、御父平城天皇の乱に坐して廃せられしかば、出家して入唐し、仁明天皇の太子恒貞親王は、伴健岑等の乱に坐して廃せらる、其他光厳天皇の太子康仁親王は、後醍醐天皇に廃せられ、後醍醐天皇の太子成良親王は、光明天皇に廃せられ、崇光天皇の太弟直仁親王は、後村上天皇に廃せられ給ひしが如き是なり、凡皇太子の待遇につきては東宮坊の事は官位部東宮職に、供給の事は封禄部に詳なり、
皇太子の御寝に侍するものには、妃あり、女御あり、更衣、御息所あり、並に此に附載す、