[p.1306][p.1307]
日本書紀
二十五孝徳
天豊財重日足姫天皇四年六月庚戌、〈◯中略〉思欲伝位於中大兄(おひね)〈◯天智〉而詔曰雲雲、
◯按ずるに、大兄お以て直に皇太子の称とは定め難けれども、古へ太子となりて皇位お継承せらるヽ皇子には、多く此称ありしが如し、長等山風附録、大兄名称考の条にも、本語はおほひねなるが、音の約りておひねとも申し、又おほねともかよはして申し奉りたりしにて、書紀に十八ところに、同じ訓ざまお註して、なべて近世によみなれたるがごとく、おほえとよめるはひとつだにあることなし、つら〳〵思遣り奉るに、中昔の書どもに、皇子の中にて皇太子に立て給ふべきしたがたにかしづき給ふお、坊がねと称せるに似たるお、古は其崇称お儲て、然は大兄と称せる例のありしにこそと雲へり、以て参考に供す、