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槐記
享保九年九月七日、仰に、総じて後鳥羽院已来の真記は、後光明院の時の禁裏炎上にことごとく亡びたり、〈◯中略〉五間に八間の御文庫、一度に三け所ともに焼失せり惜むべし、然るに壺切の御剣、其外に今二振の御剣も、念なく焼失けるが、後日二振とも、鞘もなくて身ばかりお焼跡より探し出し奉るに、兎の毛の先にてつきたるほどのきずもなし、不思議と雲べし、今の御剣これなりと仰らる、